鎌倉時代前期から中期の公卿であり歌人でもある。正二位・権大納言に昇進し、善勝寺長者を務めた。元久2年(1205年)に従五位下に叙され、後には後鳥羽上皇や後堀河天皇の近臣として活躍した。妻は土御門天皇の皇子である邦仁王の乳母であり、後に後嵯峨天皇の典侍となった。姉の娘が後嵯峨天皇の中宮となるなど、皇室とも深い関係を築き、政治的影響力を持った。建長2年(1250年)に大納言に就任し、文応元年(1260年)に辞職するも、親子間の不和から建治2年(1276年)に大納言に復帰。弘安2年(1279年)に78歳で薨去した。料理の名人であり、『宝治百首』にも歌を残している。

















