源 信(みなもと の まこと)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。嵯峨天皇の子。北辺大臣と号した。嵯峨朝の弘仁5年(814年)に弟の弘・常と共に源朝臣姓を賜与されて臣籍降下する。
貞観8年(866年)応天門の変において大納言・伴善男の誣告により、応天門放火の嫌疑を受け、右大臣・藤原良相と伴善男との通謀により、朝廷の兵士により信の邸宅が取り囲まれる。しかし、太政大臣・藤原良房はこの出兵を承知しておらず、清和天皇に対して状況を確認したところ、天皇も初耳であるとのことで、結局勅により参議・大江音人と左中弁・藤原家宗が信の邸宅に派遣されて仲裁が行われた。この事件は信に大きな精神的打撃を与え、以後門を閉じて篭居していた。貞観10年閏12月(869年2月)気分転換の為摂津国河辺郡に狩猟に出かけるが、その最中に落馬して深泥に陥った。救い出され呼吸停止状態から一旦蘇生したものの、意識不明のまま数日後の28日に薨去。
源信
初代源氏長者
氏族 | 嵯峨源氏 |
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生没 | 810年 - 869年 |
位階 | 正二位 |
官職 | 左大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫