歴代室町幕府管領一覧

No.名前在任期間備考
1斯波義将1362 – 1366一度は失脚するものの、「康暦の政変」で細川頼之を追いやり再び管領に就任。斯波氏の全盛期を築く。
2細川頼之1367 – 1379細川氏の庶流の出であったが、2代将軍・義詮の執事だった嫡流・細川清氏が失脚するとこれを討ち、管領に就任。以後、子孫は京兆家と呼ばれ細川氏の実質的な宗家となる。
3斯波義将1379 – 1391*再任
4細川頼元1391 – 1393兄・頼之が「康暦の政変」で失脚すると共に四国に下る。のちに3代将軍・義満に赦されると幕政に復帰し、その後斯波義将に代わり管領となる。
5斯波義将1393 – 1398*再任
6畠山基国1398 – 1405幕府方として旧・南朝勢力や有力大名の討伐戦で活躍。畠山氏として初の管領に就任した。
7斯波義重1405 – 1409三代将軍・義満からの寵愛を受け、その猶子となると共に名を義教(よしのり)と改めている。更には将軍家の宝剣である「腕丸」を義満自筆の書状と共に賜った。
8斯波義将1409*再任
9斯波義淳1409 – 1410当時幕閣第一の実力者であった祖父義将の意向により、13歳にして管領に就任する。
10畠山満家1410 – 1412三代将軍・義満に疎まれ一時失脚するが、義満の死後、弟に家督を譲られ当主となる。将軍・義持政権で管領を務め、6代将軍を義持の弟4人のうちから籤引きで定めることを決めた。
11細川満元1412 – 1421就任中に起きた北畠満雅の反乱・上杉禅秀の乱・足利義嗣の殺害事件などの諸問題に対処し、室町幕府の守護連合体制確立に努めた。
12畠山満家1421 – 1429*再任
13斯波義淳1429 – 1432*再任
14細川持之1432 – 1442赤松満祐が6代将軍・義教を殺害した「嘉吉の乱」では現場に居合わせるが、阻止することができなかった。のちに朝廷の綸旨を経て討伐軍を編成し、赤松氏を討った。
15畠山持国1442 – 14456代将軍・義教によって一時失脚するが、「嘉吉の変」で義教が殺害されると復帰。しかし晩年、応仁の乱に繋がるお家騒動を引き起こし、畠山氏衰退の一因を生み出した。
16細川勝元1445 – 1449有力大名の家督相続に介入し、これが応仁の乱の一因になる。応仁の乱では東軍総大将として西軍・山名宗全らと争うが、宗全が病死するとその2か月後に死去。
17畠山持国1449 – 1452*再任
18細川勝元1452 – 1464*再任
19畠山政長1464 – 1467お家騒動で従兄の畠山義就と家督を争い、応仁の乱を引き起こす。東軍の有力者として乱を乗り切るが、のちに管領となった細川政元が起こしたクーデター「明応の政変」に巻き込まれ自害。
20斯波義廉1467 – 1468渋川氏から養子として斯波氏に入るが、その立場が危うくなると山名宗全や畠山義就と組み、前任・畠山政長を追い落として管領となる。この協力関係がのちの応仁の乱における西軍となる。
21斯波義廉1468 – 1477西軍 *再任
22細川勝元1468 – 1473東軍 *再任
23畠山政長1473東軍 *再任
24畠山政長1477 – 1486*再任
25細川政元1486明応の政変で将軍・義材を追放し、政権を掌握する。しかし実子がなく、3人の養子を迎えたことで後継者候補が並立する状況を作り出し、家中の混乱を招いた。
26畠山政長1486 – 1487*再任
27細川政元1487*再任
28細川政元1490*再任
29細川政元1494 – 1507*再任
30細川澄之1507摂関・九条家から細川政元の養子となる。同じく養子の細川澄元を追いやり管領となるが、わずかその40日後に体勢を立て直した澄元勢に攻め込まれ殺害される。
31細川澄元1507 – 1508細川政元の養子。もうひとりの養子・高国との争い「両細川の乱」の中で、一時的に政権を樹立し管領に就任する。しかし政権は短期間で崩壊、管領の座も高国に奪われる形で解任された。
32細川高国1508 – 1525細川政元の養子。細川政元の3人の養子の争いを制し、細川京兆家の家督を相続。長きに渡り幕政を掌握する。
*33細川稙国1525父・高国に家督と管領職を譲られ跡を継いだが、半年後に早世。ただし、管領就任に関する命令が幕府から出された記録は残されていない。
*34畠山義堯1526管領・細川高国が家臣の香西元盛を上意討ちにして丹波国の国人衆の支持を失い失脚すると、その前後に管領となる。ただし高国以降、幕府滅亡まで管領職は空席だったとする見方もある。
*35細川晴元1536 – 1549長きに渡り内乱状態にあった細川京兆家をまとめ自らの政権を確立させたが、家臣の三好長慶の反乱で没落。その後は勢威を取り戻せないまま没した。細川京兆家の当主として政権中枢にいたことは事実だが、管領就任については諸説ある。この頃の管領職は既に形骸化しており、また就任を裏付ける確実な資料も無い。
*36細川氏綱1552 – 1564細川高国の養子。三好長慶と対立し追放された細川晴元に代わり、細川京兆家当主に擁立される。
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