系譜で辿る日本史

細川政元

細川京兆家12代当主

室町幕府24、26、27、28代管領

氏族清和源氏義国流細川氏
生没1466年 - 1507年
位階従四位下
官職右京大夫
幕府職室町幕府管領 丹波・摂津・讃岐・土佐守護

細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町幕府24、26、27、28代管領。細川氏12代当主。足利将軍家の10代将軍義材を追放して11代義澄を擁立し、政権を掌握。事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた。また修験道に没頭して女性を近づけず独身を貫いたため、実子はいなかった。養子に澄之、澄元、高国がいる。
明応の政変を主導して将軍を挿げ替え、管領として幕政を牛耳った。比叡山焼き討ちを行ったり畿内周辺にも出兵するなど細川京兆家の全盛期を築いた。3人の養子を迎えた後継者候補が並立する状況を生み出したことで家督争いが生じ、自らもその争いに巻き込まれる形で家臣に暗殺された(永正の錯乱)。応仁の乱の混乱以来小康状態にあった京・畿内周辺は、政元の死と澄元・高国両派による後継争いによって再び乱れることとなる。

配偶者
    主な祖先

    藤原兼家

    19親等祖先

    源頼光

    14親等祖先

    醍醐天皇

    20親等祖先

    藤原実方

    19親等祖先

    源頼義

    15親等祖先

    主な子孫

    男系子孫のみ表示

    養子関係を非表示

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