藤氏長者(藤原長者)一覧

No.名前在任期間略歴
1中臣鎌足??? – 669大化の改新の功績により、藤原姓を与えられる。
2中臣意美麻呂669 – ???中臣鎌足の娘を娶り、一時藤原姓を名乗る。
3藤原不比等??? – 720宣旨により、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗ることができるとされた。
4藤原房前720 – 737藤原北家。不比等の子である藤原四兄弟体制が確立。
5藤原武智麻呂737藤原南家。藤原四兄弟が相次いで天然痘で亡くなる。
6藤原豊成737 – 757藤原南家。父・武智麻呂から継承。橘奈良麻呂の乱に関係し失脚。
7藤原仲麻呂757 – 764藤原南家。兄・豊成を追い落とすが、藤原仲麻呂の乱で死亡。
8藤原豊成764 – 766藤原仲麻呂の乱後に復帰。
9藤原永手766 – 771藤原北家。仲麻呂政権下で抜擢され昇進するが、藤原仲麻呂の乱では袂を分かつ。
10藤原良継771 – 777藤原式家。藤原仲麻呂の乱では部隊を率いて仲麻呂を討伐。
11藤原魚名778 – 782藤原北家。兄・永手の死去後にその地位を継承。のちに、突如大宰府に左遷され失脚。
12藤原田麻呂782 – 783藤原式家。光仁天皇の即位に伴い、それを擁立した藤原良継らによる式家主導体制が確立。
13藤原是公783 – 789藤原南家。魚名・田麻呂が相次いで死去し、急速に昇進を果たす。
14藤原継縄789 – 796藤原南家。従兄弟・是公の死去により継承。
15藤原内麻呂796 – 812藤原北家。平城天皇の信任を背景に昇進。藤原北家嫡流の地位は永手の家系より移る。
16藤原園人812 – 818藤原北家。嵯峨天皇のもとで積極的な政策提言を行うが、次代・冬嗣によりその多くは転換された。
17藤原冬嗣818 – 826藤原北家。園人没後、藤原葛野麻呂との争いを制して藤氏長者となる。
18藤原緒嗣826 – 843藤原式家。長男の死去や承和の変での中納言・藤原吉野の失脚で式家全体の勢力が衰える。
19藤原良房843 – 872藤原北家。冬嗣の子で、史上初の摂政となる。以降、氏長者の地位は藤原北家で独占される。
20藤原基経872 – 891冬嗣の孫。史上初の関白とされる。
21藤原良世891 – 897兄・良房を支えて重用される。
22藤原時平897 – 909基経の子。若くして栄達するが、39歳で死去。左遷させた菅原道真の祟りと恐れられた。
23藤原忠平909 – 949兄・時平の死去により継承。長く政権の座にあった。
24藤原実頼949 – 970忠平の長男。天皇の外戚となることができず、逆に外戚の地位を獲得した弟・師輔の系統が次第に嫡流筋となる。
25藤原伊尹970 – 972妹の安子が産んだ冷泉天皇・円融天皇の即位に伴って栄達し、摂政・太政大臣にまで上り詰める。
26藤原頼忠972 – 974実頼の嫡男。父の代に続き、外戚の地位獲得はならなかった。
27藤原兼通974 – 977兄・伊尹の死後、弟・兼家との後継争いを制する。
28藤原頼忠977 – 986*再任
29藤原兼家986 – 990次兄・兼通のもとでは冷遇される。寛和の変で花山天皇を出家に追い込み、孫の一条天皇を即位させ外戚として権力を握る。
30藤原道隆990 – 995父・兼家の地位を継承するが、43歳で病没。
31藤原道兼995兄・道隆が病没すると後任の関白に就任。しかしほどなくして病没し、世に「七日関白」と呼ばれた。
32藤原道長995 – 1017甥・伊周との後継争いを制し、藤原氏全盛期を築く。
33藤原頼通1017 – 1064平等院鳳凰堂を造営し、摂関家の時代を築いたが、後三条天皇の即位で権勢が衰退した。
34藤原教通1064 – 1075急速に昇進し関白となるが、兄頼通との関係悪化で摂関家の衰退を招く。
35藤原師実1075 – 1094養女を天皇に入内させて中宮に冊立させ、御堂流の権勢再建を果たす。
36藤原師通1094 – 1099関白として親政を展開し、白河上皇の権力を制限。延暦寺の強訴に毅然と対応。
37藤原忠実1099 – 1121摂関家の再興を図るも、白河法皇の院政に屈し続け、晩年に保元の乱で失脚。
38藤原忠通1121 – 1150保元の乱を経て摂関家の地位を回復し、政治的影響力を一時的に取り戻したが、その後は失脚し晩年に出家。歌人としても知られる。
39藤原頼長1150 – 1156摂政関白の地位を巡り兄と対立、苛烈な性格から「悪左府」と称された。保元の乱で敗死。
40藤原忠通1156 – 1158*再任
41近衛基実1158 – 1166後白河天皇の信任を得て関白に就任し、平清盛と縁組し摂関家の基盤を築いた。
42松殿基房1166 – 1179平清盛の反発を受け関白を解任されるが、博識を評価され後世に影響を与えた。
43近衛基通1179 – 1183平家との縁を活かし摂政となるが、後に源氏との対立で失脚と復権を繰り返す。
44松殿師家1183 – 1184摂政に任じられるも政変で失脚。後に源義仲と姻戚関係を結ぶが再び失脚。出家して生涯を終える。
45近衛基通1184 – 1186*再任
46九条兼実1186 – 1196源頼朝と結び関白に就任し、日記『玉葉』を残した。
47近衛基通1196 – 1202*再任
48九条良経1202 – 1206九条家の嫡男として活躍、和歌所設置に関与し『新古今和歌集』撰修に貢献。書道でも「後京極流」を確立。
49近衛家実1206 – 1221承久の乱で後鳥羽上皇の挙兵に反対し、乱後に摂政に再任され、幕府との調和を図った。
50九条道家1221鎌倉幕府4代将軍となる藤原頼経を鎌倉に送り、摂政として政治権力を握った。
51近衛家実1221 – 1228*再任
52九条道家1228 – 1231*再任
53九条教実1231 – 1235日記『洞院摂政記』を著し、後堀河天皇の摂政となるが、政治の実権は父に握られていた。
54九条道家1235 – 1237*再任
55近衛兼経1237 – 1242九条家と和解し、摂政として後深草天皇を支えたが、政変で一時失脚。後に再び摂政に復帰。
56二条良実1242 – 124615歳で従三位に叙せられ、後に関白を務める。祖父西園寺公経に支えられ政界で活躍。道家死去後、再び関白就任。
57一条実経1246 – 1247鎌倉時代、関白や摂政を務め、宮騒動で失脚後も再度関白に復帰した公卿。
58近衛兼経1247 – 1252*再任
59鷹司兼平1252 – 1261摂政・関白を長く務め、能書家としても著名。日記『称念院関白記』を著す。
60二条良実1261 – 1265*再任
61一条実経1265 – 1267*再任
62近衛基平1267 – 1268深心院関白として活躍し、鎌倉時代中期に関白や左大臣を歴任した。享年23。
63鷹司基忠1268 – 1273鎌倉時代に関白を務め、和歌に優れ、『続拾遺和歌集』などに85首が採録された歌人。
64九条忠家1273 – 1274道家の死後、九条家の摂関復帰を果たし、一族の地位を確立するも短命に終わる。
65一条家経1274 – 1275和歌集に名を連ね、後宇多天皇の摂政を務めたが、翌年辞職。歌合を開催した。
66鷹司兼平1275 – 1287摂関として23年間政務を担い、能書家としても活躍した。和歌も詠み、著作を残す。
67二条師忠1287 – 1289
68近衛家基1289 – 1291関白や右大臣を務め、鎌倉時代後期の朝廷で要職を歴任した。36歳で薨去。
69九条忠教1291 – 1293父の復権で昇進し、関白や藤氏長者を歴任。寺院建立や寄進も行う。
70近衛家基1293 – 1296*再任
71鷹司兼忠1296 – 1298兄・基忠の養子となり、基忠の長男・冬平を自身の養子としている。
72二条兼基1298 – 1305兄・師忠の養子となり二条家を継ぐ。
73九条師教1305 – 1308関白として政治を主導し、花園天皇の摂政を務めた。また、歌人としても活躍し、勅撰集に15首が収録された。
74鷹司冬平1308 – 1313鎌倉後期、三度関白を務めた。歌人としても活躍し、勅撰集に81首収録された。
75近衛家平1313 – 1315関白として藤氏長者に就任するが、2年で辞任。日記『岡本関白記』を残す。
76鷹司冬平1315 – 1316*再任
77二条道平1316 – 1318後醍醐天皇の関白を務め、倒幕計画に関与。鎌倉幕府に父へ預けられるが、再び左大臣に。
78一条内経1318 – 1323勅撰和歌集に採録された歌人。関白に昇るが政治的才能に乏しく、35歳で病死。
79九条房実1323 – 1324九条家を継ぎ、関白や藤原氏長者を歴任するが、38歳で薨去。
80鷹司冬平1324 – 1327*再任
81二条道平1327 – 1330*再任
82近衛経忠1330後醍醐天皇に重用され関白に就任、南朝に仕えたが、後に京都へ戻り冷遇された。
83鷹司冬教1330 – 1333南北朝時代、後醍醐天皇の政変で関白職を解任され、建武の新政崩壊後に没した公卿。
84二条道平1333 – 1334*再任
85近衛経忠1334*再任
86鷹司冬教1334 – 1335*再任
87近衛経忠1335 – 1337*再任
88近衛基嗣1337 – 1338南北朝時代に京の朝廷で関白を務め、室町幕府の誕生に関白として立ち会う。
89一条経通1338 – 1342南北朝時代、北朝側に属し光明天皇の下で関白を務め、東福寺の再建に貢献した。
90九条道教1342南北朝時代、北朝方の公家として活躍し、足利尊氏から家領の所有を認められた。
91鷹司師平1342 – 1346
92二条良基1346 – 1358関白を5度務め、連歌を大成した公卿。室町幕府と連携を図ることで朝廷の安定に尽力。
93九条経教1358 – 1361北朝方の公家として活躍し、右大臣や左大臣を経て関白に就任。晩年、足利義満の出家に伴い自身も出家した。
94近衛道嗣1361 – 1363日記『愚管記』で『新拾遺和歌集』に批判的意見を述べ、足利義詮を批判した。
95二条良基1363 – 1367*再任
96鷹司冬通1367 – 1369
97二条師良1369 – 1375関白として後光厳天皇らを支えたが、後に発狂し出家して38歳で亡くなった。
98九条忠基1375 – 1379
99二条師嗣1379 – 1382足利義満の怒りを買い、関白を辞任し出家に追い込まれる。
100二条良基1382 – 1387*再任
101近衛兼嗣1387 – 1388摂政・関白として足利義満と関係を深めるが、29歳で早逝する。
102二条良基1388*再任
103二条師嗣1388 – 1394*再任
104一条経嗣1394 – 1398将軍・足利義満の信任を受け、元号選定に関与し「応永」を採用させた。
105二条師嗣1398 – 1399*再任
106一条経嗣1399 – 1408*再任
107近衛忠嗣1408 – 1409最愛の妻の死を嘆き自ら命を絶とうとするが未遂に終わり、出家する。
108二条満基1409 – 1410室町時代に関白を務め、足利義嗣の元服時に加冠役を担当。歌人としても活動。
109一条経嗣1410 – 1418*再任
110九条満家1418 – 1424室町時代、3代将軍足利義満から偏諱を受け、関白に任じられたが、寺院管理権を得られなかった。
111二条持基1424 – 1432称光天皇の関白となり、後花園天皇の摂政に転じる。歌会を催し『新続古今和歌集』に詠歌が収録。
112一条兼良1432古典学者として名を馳せ、源氏物語注釈や有職故実の研究を行い、三教一致を説いた。
113二条持基1432 – 1445*再任
114近衛房嗣1445 – 1447
115一条兼良1447 – 1453*再任
116二条持通1453 – 1454有識故実の権威として公家社会の信頼を集め、後土御門天皇や将軍家からも重用された。
117鷹司房平1454 – 1455
118二条持通1455 – 1458*再任
119一条教房1458 – 1463応仁の乱で奈良に避難し、その後土佐へ下向。京都文化を広め中村の繁栄を築いた。
120二条持通1463 – 1467*再任
121一条兼良1467 – 1470*再任
122二条政嗣1470 – 1476室町時代に関白や氏長者を歴任し、足利義政から偏諱を受けた。38歳で薨去。
123九条政基1476 – 1479家領経営を巡る対立から家司の唐橋在数を殺害し、勅勘処分を受けた。日記『政基公旅引付』を著す。
124近衛政家1479 – 1483応仁の乱の際、近衛家の古文書を岩倉に避難させ、後世に伝えた。
125鷹司政平1483 – 1487「政」の字は室町幕府8代将軍・足利義政より偏諱を受けたものである。
126九条政忠1487 – 1488九条家の家督を継ぎ、関白や藤氏長者を務めるが、政基との家督争いで一時隠居。
127一条冬良1488 – 1493学問に熱心で古今和歌集の講義を行い、新撰菟玖波集の編纂に尽力。
128近衛尚通1493 – 1497戦国時代を「戦国の世」と評し、文化人として学問や文芸の普及に尽力した。
129二条尚基1497家の経済基盤が脆弱で、戦乱期に着るものも不足するほど困窮した。27歳で死去。
130一条冬良1497 – 1501*再任
131九条尚経1501 – 1513唐橋在数を殺害し勅勘を受けるが、後に関白として復権。著作も残す。
132近衛尚通1513 – 1514*再任
133鷹司兼輔1514 – 1518
134二条尹房1518 – 1525二条家の当主として家領回復に奔走。備前や加賀での活動中、陶晴賢の謀反により殺害される。
135近衛稙家1525 – 1533将軍家と縁戚関係を築き、朝廷や諸大名との間で仲介役を務めた。
136九条稙通1533 – 1534経済的困窮の中、関白を辞任。古典研究に励み、『孟津抄』など多くの注釈書を著す。
137二条尹房1534 – 1536*再任
138近衛稙家1536 – 1542*再任
139鷹司忠冬1542 – 1545関白として従一位に昇進するが、嗣子が無く鷹司家は一度断絶した。
140一条房通1545 – 1548京都で関白に就任し、細川国慶の強引な徴収に抗議。土佐でも当主代理として政務を執った。
141二条晴良1548 – 1553将軍足利義昭を支持し、義昭と織田信長の対立の調停を行い、関白としての地位を維持した。
142一条兼冬1553 – 1554戦国時代に若くして従一位・関白に昇進し、歌や絵にも秀でた公卿。
143近衛前久1554 – 1568将軍・足利義輝を支援しつつ、上杉謙信と盟約を結び、関東平定を助けた。
144二条晴良1568 – 1578*再任
145九条兼孝1578 – 1581豊臣秀吉の関白就任を支え、後に徳川家康の意向で再度関白に就任するが、最終的に出家して隠居。
146一条内基1581 – 1584本能寺の変時の関白。土佐一条氏を解体し、在国公家へ戻す政策を実施。
147二条昭実1584 – 1585天下人との結びつきを利用して関白に就任。古式典礼に通じ公家界の長老として活躍。
148九条兼孝1600 – 1604*再任
149近衛信尹1605 – 1606寛永の三筆の一人で、関白を務めたが、関白相論で秀吉の関白就任に繋がった。後に左大臣に復職。
150鷹司信房1606 – 1608織田信長の勧めで断絶していた鷹司家を再興し、政治や儀式に関与した。
151九条幸家1608 – 1612江戸幕府と朝廷の仲介役として活躍し、関白を二度務め、京狩野の画家たちを庇護した。
152鷹司信尚1612 – 1615後水尾天皇の即位時に内弁を務めたが、元和7年(1621年)に32歳で薨去。
153二条昭実1615 – 1619*再任
154九条幸家1619 – 1623*再任
155近衛信尋1623 – 1629江戸時代初期、関白に就任し、和歌に秀でた。また、桂離宮での文化交流で知られる。
156一条昭良1629 – 1635皇別摂家の養子となり関白や摂政を務め、後に一条家の重要な山荘を築く。
157二条康道1635 – 1647天皇の即位儀式に立ち会い、摂政を務めたほか、幕府との交渉で朝廷の安定に尽力した。
158九条道房1647摂政・左大臣に昇進し、父から源氏三ヶ秘決を伝授されるも、摂政就任後すぐに薨去。
159一条昭良1647 – 1651*再任
160近衛尚嗣1651 – 1653江戸時代初期、関白として朝廷を支えた公卿。近衛家の当主を務めた。
161二条光平1653 – 1664江戸時代初期、朝廷の重職を歴任し皇位継承問題に関与した。幕府との連携も図る。
162鷹司房輔1664 – 1682徳川慶喜の女系祖先で、関白や摂政を歴任し公卿として活動。
163一条冬経1682 – 1690霊元天皇の側近として関白・摂政を務め、近衛基熙と宮廷内で勢力を争った。
164近衛基熙1690 – 1703江戸幕府と朝廷の関係改善に尽力し、親幕派として霊元上皇と対立しながらも権勢を振るった。
165鷹司兼熙1703 – 1707霊元天皇と東山天皇の治世で朝廷政治に関与し、関白を歴任。享保10年(1725年)に薨去。
166近衛家熙1707 – 1712書道や絵画に秀で、『唐六典』を20年かけて校勘し、完成させた公家。茶道にも通じた。
167九条輔実1712 – 1722絵画を得意とし、摂政や関白を歴任した。弁天十五童子が遺作とされる。
168二条綱平1722 – 1726二度の即位灌頂での争論で活躍し、尾形光琳や乾山兄弟を支援した。
169近衛家久1726 – 1736享保17年(1732年)には祖父・近衛基熙、父・近衛家熙に続き太政大臣に就任し、朝廷内で他の摂家より優位に立った。
170二条吉忠1736 – 1737江戸時代中期に関白となり、桜町天皇の外祖父として後に准三后を追贈される。
171一条兼香1737 – 1746朝廷儀式の再興を推進し、江戸幕府に大嘗祭復活の支援を求めた。
172一条道香1746 – 1757禁中並公家諸法度の制定に関与し、幕府と朝廷の調整を担った。
173近衛内前1757 – 1778桃園天皇と後桃園天皇の関白を務め、後桜町上皇と共に後桃園天皇の後継を選定。
174九条尚実1778 – 1787宝暦事件で摂関家の優位を維持し、後桃園天皇崩御後の皇位継承を主導。
175鷹司輔平1787 – 1791光格天皇を補佐したが、「尊号一件」で関白として反対立場を取ったため信頼を失う。
176一条輝良1791 – 1795関白や左大臣を歴任し、公卿として幕府との協調を図った人物。
177鷹司政煕1795 – 1814関白在任中、朝廷運営と朝幕関係の安定に寄与し、19年間務めた。
178一条忠良1814 – 1823茶陶を自作し、作品が現存。関白や左大臣を歴任し、准三后に列せられる。
179鷹司政通1823 – 1856約33年間にわたり摂政・関白を務め、朝廷で大きな権力を持った。開国論を支持しつつ、後に攘夷派となる。
180九条尚忠1856 – 1862幕末に関白を務め、幕府との協調路線を推進し、公武合体を支援した。
181近衛忠煕1862 – 1863公武合体派として活動し、安政の大獄で失脚。後に復帰し関白を務めたが辞職。明治期も京都に居住。
182鷹司輔煕1863 – 1864日米修好通商条約に反対し、戊午の密勅を画策。関白を免ぜられたが、後に復帰。
183二条斉敬1864 – 1867最後の関白で摂政を務めたが、王政復古により失脚した。幕末の政治に深く関与した人物。
184九条道孝1868 – 1871幕府協調を推進し、明治維新で新政府軍の総督となる。後に海上保険会社設立に関与。
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