元治元年(1864年)に国事御用掛、慶応3年(1867年)には左大臣に就任。大政奉還前は幕府との協調を進めたため、王政復古の大号令後に参内停止処分を受けたが、明治元年(1868年)には許され処分が解かれる。摂政関白廃止後、藤氏長者に任じられ、戊辰戦争では新政府軍の奥羽鎮撫総督府総督として東北地方を転戦。明治維新後は明治天皇の相談役を務めた。華族制度創設時に公爵に叙され、1890年(明治23年)には貴族院公爵議員に就任し、死去するまで在任した。1900年(明治33年)、大勲位に叙され、大勲位菊花大綬章を受章。1906年(明治39年)に脳溢血と心臓病で死去した。











