1 | 北条時政 | 1203 – 1205 | 得宗家初代。娘の北条政子が源頼朝の妻となったことで、頼朝政権下で重用される。牧氏事件で失脚。 |
2 | 北条義時 | 1205 – 1224 | 鎌倉幕府の源氏将軍が断絶した後、実質的な指導者となる。承久の乱では朝敵となるも官軍を破る。 |
3 | 北条泰時 | 1224 – 1242 | 父・義時より継承。御成敗式目を制定した。 |
4 | 北条経時 | 1242 – 1246 | 父は早世のため、祖父・泰時より継承。在任4年弱で死去。 |
5 | 北条時頼 | 1246 – 1256 | 兄・経時より継承。執権職を義時の孫・長時に譲った後も実権を握り、得宗専制政治の先駆けとなる。 |
6 | 北条長時 | 1256 – 1264 | 父は義時の三男・重時。執権としての実権は乏しく、時頼の嫡男・時宗への繋ぎとしての意味合いが強い執権就任であった。 |
7 | 北条政村 | 1264 – 1268 | 義時の五男。時頼の嫡男・時宗への繋ぎとして60歳にして執権に就任した。のち、18歳になった時宗に執権職を譲る。 |
8 | 北条時宗 | 1268 – 1284 | 北条氏の嫡流得宗家に生まれ、18歳で執権職を継承。元寇に対処し、二度の侵攻を退ける。 |
9 | 北条貞時 | 1284 – 1301 | 父・時宗の病死により13歳で執権職を継承。貞時の晩年には得宗家地位の形骸化が進行する。 |
10 | 北条師時 | 1301 – 1311 | 父は時宗の弟・宗政。貞時の嫡男・高時が成人するまでの繋ぎとしての執権就任であった。 |
11 | 北条宗宣 | 1311 – 1312 | 初代得宗である時政の子・時房の家系。就任時の幕政は既に内管領に実権を握られており、政治を主導することはできなかった。 |
12 | 北条煕時 | 1312 – 1315 | 7代執権・政村の曾孫。引き続き、幕政の実権は内管領に握られていた。 |
13 | 北条基時 | 1315 – 1316 | 義時の三男・重時の家系。得宗家の嫡男・高時の成長を待って執権職を譲った。 |
14 | 北条高時 | 1316 – 1326 | 父は9代執権・貞時。4代の中継ぎを経て14歳で執権職を継承するが、病のため24歳で出家する。 |
15 | 北条貞顕 | 1326 | 義時の子・実泰の家系。高時の子・邦時の成人までの中継ぎとして執権となるも、有力御家人の反対から就任11日で辞職を余儀なくされる。 |
16 | 北条守時 | 1326 – 1333 | 6代執権・長時の曾孫。新田義貞率いる倒幕軍を迎え撃つ先鋒隊として出陣し、鎌倉にて戦死。 |
17 | 北条貞将 | 1333 | 15代執権・貞顕の嫡男。16代・守時の戦死を受けて、鎌倉陥落の際に17代執権に任じられたとする説がある。 |