系譜で辿る日本史

北条時政

鎌倉幕府初代執権

得宗家初代当主

十三人の合議制

氏族称・桓武平氏高望流
生没1138年 - 1215年
位階従五位下
官職遠江守
幕府職執権 駿河・伊豆守護

婿である源頼朝の挙兵に早くから付き従い、鎌倉政権下で重用される。頼朝の死後は政権内で政争を重ね、有力御家人を次々と排除し権力を握る。しかし、妻・牧の方と共謀して将軍の実朝を殺害し婿の平賀朝雅を新将軍として擁立しようとしたが失敗し(牧氏の変)、鎌倉から追放された。
北条氏は桓武平氏高望流の平直方の子孫と称し、伊豆国田方郡北条(静岡県伊豆の国市)を拠点とした在地豪族である。時政以前の系譜は系図により全て異なるため、桓武平氏の流れであることを疑問視ならびに否定視する研究者も少なくない。
時政の子孫は大きく栄え、北条氏は鎌倉時代150年にわたって権力の中枢を堅持し枝葉を広げていった。また娘も足利氏、畠山氏に嫁ぎ、足利将軍家や三管領畠山氏へと血脈を保っている。

配偶者
主な祖先
主な子孫

上杉宗憲

20親等子孫

今川義元

13親等子孫

吉良頼康

13親等子孫

足利義栄

14親等子孫

北条兼時

6親等子孫

男系子孫のみ表示

養子関係を非表示