鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将で、名将・楠木正成に「坂東一の弓取り」と評されるほどの武勇を誇った。元弘の乱では北条高時の命を受け、摂津国四天王寺で楠木正成と対峙。直接対決は避け、持久戦となり引き分けた。その後、千早城攻めに参戦し、六波羅探題滅亡後に官軍側に降伏する。建武の新政下では雑訴決断所の奉行職を務め、足利尊氏と戦うも敗北し降伏。尊氏の家臣となり、北朝方として活動するも、再び天皇のもとに帰参。和歌にも才能を発揮し、『新続古今和歌集』に作品が収められている。正平11年/延文元年(1356年)、55歳で死去。
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