平安時代末期から鎌倉時代初期の武将である。近江国の守護を務め、源頼朝の側近として活動。承久3年(1221年)の承久の乱では、宇治川での戦いに参戦し、北条泰時の援軍を得て官軍を破った。戦功により近江佐々木豊浦庄などの地頭職を獲得。天福2年(1234年)に出家し、法名を虚仮とした。最終的には近江の地を四人の息子に分け与え、その子孫は大原氏、高島氏、六角氏、京極氏として続いた。仁治3年(1242年)に死去し、享年61。蒲生郡で老曽明神として祀られた。
主な祖先
佐々木信綱の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
- 女(佐々木信綱・室)
父: 北条義時(称・桓武平氏高望流)
主な子孫





















