南北朝時代の武将である斯波兼頼は、奥州探題斯波家兼の次男として生まれる。延元元年(1336年)、従兄弟の命により相馬氏を従えて北畠顕家と争う。延文元年(1356年)、出羽国に入り、寒河江大江氏ら南朝方の抵抗を抑えるため山形に入部、翌年には山形城を築く。貞治6年(1367年)、鎌倉公方の足利氏満らと共に南朝方を攻撃し降伏させる。応安6年(1373年)頃、室町幕府より屋形号を許され最上屋形と称し、最上氏を名乗る。永和元年(1375年)、家督を嫡男に譲り念仏三昧の日々を送るが、永和3年(1377年)には幕府からの役務を担う。康暦元年(1379年)に死去。墓所は山形市の光明寺にある。最上氏の初代とされ、後の時代にその勢力は飛躍的に拡大する。
主な祖先
斯波兼頼の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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