平安時代中期の貴族・歌人である。左近衛中将として公卿の座を目前にしながらも、長徳元年(995年)に陸奥守に左遷される。左遷の背景には、一条天皇の前で藤原行成との和歌に関する口論があったとされるが、実際には天皇から多大な餞別を受けた記録があり、左遷とは言えないとの説もある。陸奥守在任中に馬の事故で急死し、任務を果たせなかったため、後任者に責任が追及されることとなる。多くの女性と交際し、『源氏物語』の光源氏のモデルとされることもある。多くの和歌が勅撰和歌集に収録されている。
主な祖先
藤原実方の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
主な子孫





















