鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活動した公卿で、南朝の実務を担った。元弘元年(1331年)には元弘の乱で後醍醐天皇方に加わるが、敗北を喫し出家する。しかし、幕府滅亡後に還俗し、再び朝廷に復帰。建武の新政では批判を受けつつも重要な役割を果たした。後村上天皇の在位中、北朝との戦いで公卿ながらも武士と共に戦い、正平6年(1351年)の足利氏の内紛を利用して南朝が京都を一時占領した際も活躍。しかし、足利軍の反攻により南朝軍は撤退し、正平7年(1352年)に男山で足利軍と戦い戦死する。息子たちも南朝に仕え、家系は途絶えたとされる。
主な祖先
四条隆資の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















