No. | 名前 | 在任期間 | 略歴 | 備考 |
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* | 巨勢麻呂 | 709 – ? | 蝦夷征討の陸奥鎮東将軍として活動し、出羽国の開発を進言し実現させた。 | *鎮東将軍 |
* | 多治比県守 | 720 – 721 | 養老の遣唐使(717-718年)で遣唐押使として渡唐し、後に持節征夷将軍として蝦夷の反乱鎮圧に尽力。 | *持節征夷将軍 |
* | 藤原宇合 | 724 – 725 | 遣唐副使として唐に渡り、帰国後は反乱鎮圧や地方軍備の整備に尽力した。 | *持節大将軍 |
* | 藤原麻呂 | 737 – ? | 蝦夷征討のため奥羽連絡通路を開削し、東北地方の開発に貢献する。天然痘により薨去。 | *持節大使 |
* | 藤原継縄 | 780 – ? | 桓武天皇を裏から支え、平安京遷都に関与。続日本紀の編纂にも名が挙がる。 | *征東大使 |
* | 藤原小黒麻呂 | 780 – 781 | 蝦夷征討に従事し、桓武天皇の政権運営に貢献。長岡京・平安京の造営に関与。 | *持節征東大使 |
* | 大伴家持 | 784 – 785 | 『万葉集』の編纂に関与し、473首の和歌を残した奈良時代の歌人。 | *持節征東将軍 |
* | 紀古佐美 | 788 – 789 | 奈良時代の公卿。蝦夷征討で大敗したが、朝廷への功績で罪を免れる。薨去後、従二位を贈られる。 | *征東大将軍 |
1 | 大伴弟麻呂 | 791 – 795 | 史料に見える初の征夷大将軍として蝦夷征討を指揮し、功績を挙げる。后に京官を歴任。 | 征東大使のち 征夷大将軍 |
2 | 坂上田村麻呂 | 797 – 801 804 – 810 | 4代の天皇に仕え、桓武天皇のもとで征夷大将軍を務め、蝦夷討伐で功績を残す。 | – |
* | 文室綿麻呂 | 811 – ? 813 – 816 | 蝦夷征討で活躍し、薬子の変にも関与。東北地方での戦闘経験が豊富。 | *征夷将軍 |
* | 藤原忠文 | 940 | 平将門の乱で征東大将軍に任命されるが、討伐前に将門が既に討たれ戦功なし。 | *征東大将軍 |
* | 木曾義仲 | 1184 | 平氏を倶利伽羅峠で破り入京するが、後白河法皇との対立で失脚し、頼朝の軍に討たれる。 | *征東大将軍 |
3 | 源頼朝 | 1192 – 1199 | 鎌倉幕府を創設し、征夷大将軍に任じられて日本初の武家政権を樹立した武将。 | 鎌倉幕府初代 |
4 | 源頼家 | 1202 – 1203 | 鎌倉幕府2代将軍。独断を抑えられ、北条氏の台頭により失脚後、修禅寺で暗殺される。 | 鎌倉幕府二代 |
5 | 源実朝 | 1203 – 1219 | 鎌倉幕府第3代将軍。朝廷との関係を重視し、若くして右大臣に任ぜられるも、甥の公暁に暗殺される。和歌にも秀で、『金槐和歌集』を残した。 | 鎌倉幕府三代 |
6 | 藤原頼経 | 1226 – 1244 | 鎌倉幕府4代将軍。摂関家から迎えられた摂家将軍として政権を担うも、執権北条時頼により京都へ追放される。 | 鎌倉幕府四代 |
7 | 藤原頼嗣 | 1244 – 1252 | 鎌倉幕府5代将軍。将軍として在任中に北条時頼と対立、14歳で解任され京へ追放される。 | 鎌倉幕府五代 |
8 | 宗尊親王 | 1252 – 1266 | 鎌倉幕府6代将軍。皇族初の将軍として和歌を通じ文化振興に貢献したが、後に解任され京に送還。 | 鎌倉幕府六代 |
9 | 惟康親王 | 1266 – 1289 | 蒙古襲来(元寇)の際、源氏将軍として武士の結集を図るも、後に将軍職を解任され京に送還。 | 鎌倉幕府七代 |
10 | 久明親王 | 1289 – 1308 | 鎌倉幕府第8代将軍として在任するも名目的存在で、和歌に秀で鎌倉歌壇の中心となる。 | 鎌倉幕府八代 |
11 | 守邦親王 | 1308 – 1333 | 鎌倉幕府最後の将軍として在職し、名目上の地位に留まる中で幕府滅亡を迎えた。 | 鎌倉幕府九代 |
12 | 護良親王 | 1333 | 元弘の乱で鎌倉幕府を倒し功績を挙げるが、父後醍醐と対立し鎌倉で殺害される。 | 建武体制初代 |
13 | 成良親王 | 1335 – 1336 | 鎌倉将軍府将軍として関東を統治。中先代の乱で帰京し、一時征夷大将軍となる。 | 建武体制二代 |
14 | 足利尊氏 | 1338 – 1358 | 鎌倉幕府を倒し、室町幕府を開く。南朝と対立しつつも和歌や文化活動にも貢献。 | *征東将軍(1335 – 1336) 室町幕府初代 |
15 | 興良親王 | 1339 | 南朝の皇族で、征夷大将軍に任じられ、各地で戦いを指揮した。後に南朝への反旗を翻すも失敗。消息不明。 | 南朝初代 |
16 | 宗良親王 | 1352 | 後醍醐天皇の子として南朝に仕え、和歌集『新葉和歌集』を編纂した。南北朝期の動乱に関与。 | 南朝二代 |
17 | 足利義詮 | 1359 – 1367 | 南北朝動乱をほぼ終息させ、幕府政治を安定化。将軍権力を高めるため政治力を発揮。 | 室町幕府二代 |
18 | 足利義満 | 1369 – 1395 | 南北朝の統一を実現し、金閣を建立。勘合貿易を開始し室町幕府の権力を確立した。 | 室町幕府三代 |
19 | 足利義持 | 1395 – 1423 | 足利義持は、室町幕府第4代将軍として明との外交を断絶し、室町幕府の安定を築いた人物。 | 室町幕府四代 |
20 | 足利義量 | 1423 – 1425 | 室町幕府第5代将軍。病弱で大酒飲みとされるが、実権は父に握られていた。享年19。 | 室町幕府五代 |
21 | 足利義教 | 1429 – 1441 | 強権的な手法で室町幕府の権威を高めたが、嘉吉元年(1441年)、赤松氏に暗殺される。 | 室町幕府六代 |
22 | 足利義勝 | 1442 – 1443 | 室町幕府第7代将軍。幼少で在任期間は短く、政治実権は細川持之が掌握した。 | 室町幕府七代 |
23 | 足利義政 | 1449 – 1474 | 応仁の乱を引き起こした室町幕府第8代将軍。文化振興にも寄与し、東山文化を築いた。 | 室町幕府八代 |
24 | 足利義尚 | 1474 – 1489 | 応仁の乱後、幕府権力の回復を図り六角征伐を実施するが、近江で病死する。 | 室町幕府九代 |
25 | 足利義材(義稙) | 1490 – 1493 1508 – 1522 | 室町幕府第10代将軍。2度の将軍職を経て、細川氏との対立や逃亡生活を繰り返した。 | 室町幕府十代 |
26 | 足利義澄 | 1495 – 1508 | 明応の政変で将軍に擁立されるも、実権は細川政元らが掌握。後に追放され失意のうちに死去。 | 室町幕府十一代 |
27 | 足利義晴 | 1522 – 1547 | 室町幕府第12代将軍。細川高国と対立する中で政権を握ったが、内紛により権力基盤が揺らぎ続けた。 | 室町幕府十二代 |
28 | 足利義輝 | 1547 – 1565 | 将軍として幕府権威の復活を目指し、大名間の調停を行うが、永禄の変で三好勢により殺害される。 | 室町幕府十三代 |
29 | 足利義栄 | 1568 | 将軍就任するも信長の上洛により失脚。病に倒れ、没した。将軍としての主体性を発揮できず。 | 室町幕府十四代 |
30 | 足利義昭 | 1568 – 1588 | 織田信長の支援で室町幕府第15代将軍となるが、後に信長と対立し、最終的に京都を追放され、室町幕府の滅亡に繋がる。 | 室町幕府十五代 |
31 | 徳川家康 | 1603 – 1605 | 徳川氏を率い、関ヶ原の戦いで勝利し、慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いた。 | 江戸幕府初代 |
32 | 徳川秀忠 | 1605 – 1623 | 江戸幕府の第2代将軍として、父・家康の政策を継承し、幕府の基盤を確立した。 | 江戸幕府二代 |
33 | 徳川家光 | 1623 – 1651 | 江戸幕府の第3代将軍。参勤交代制を導入し、鎖国体制を完成させた。島原の乱を鎮圧。 | 江戸幕府三代 |
34 | 徳川家綱 | 1651 – 1680 | 幼少で将軍となり、文治政治へ移行を推進。末期養子の禁を緩和し、殉死を禁止した。 | 江戸幕府四代 |
35 | 徳川綱吉 | 1680 – 1709 | 江戸幕府第5代将軍。儒学を重んじ、文治政治を推進。生類憐みの令を発布した。 | 江戸幕府五代 |
36 | 徳川家宣 | 1709 – 1712 | 宝永6年(1709年)に江戸幕府第6代将軍となり、文治政治を推進し、財政改革を試みた。 | 江戸幕府六代 |
37 | 徳川家継 | 1713 – 1716 | 幼少で第7代将軍に就任し、短命で急逝。正徳の改革を継続するも、その後の政局は混迷。 | 江戸幕府七代 |
38 | 徳川吉宗 | 1716 – 1745 | 江戸幕府第8代将軍として享保の改革を実施し、財政再建や官僚制度改革を推進した。 | 江戸幕府八代 |
39 | 徳川家重 | 1745 – 1760 | 第9代将軍として在任中、享保の改革の影響下で経済政策を実施し、一揆や社会不安の対応に尽力した。 | 江戸幕府九代 |
40 | 徳川家治 | 1760 – 1786 | 江戸幕府第10代将軍。田沼意次を重用しつつ、将棋や絵画に没頭した。後に毒殺説も浮上。 | 江戸幕府十代 |
41 | 徳川家斉 | 1787 – 1837 | 江戸幕府第11代将軍。寛政の改革後、財政悪化と幕政腐敗を招き、大塩平八郎の乱を引き起こした。 | 江戸幕府十一代 |
42 | 徳川家慶 | 1837 – 1853 | 天保の改革を推進するも失敗し、黒船来航時に病床で死去。幕府財政再建を図るが挫折。 | 江戸幕府十二代 |
43 | 徳川家定 | 1853 – 1858 | 黒船来航後、病弱ながらも第13代将軍となり、後継者問題で異例の行動を見せた。 | 江戸幕府十三代 |
44 | 徳川家茂 | 1858 – 1866 | 将軍継嗣問題で南紀派の支持を受け、13歳で第14代将軍に就任。尊王攘夷運動に直面し、将軍として上洛した。 | 江戸幕府十四代 |
45 | 徳川慶喜 | 1867 – 1868 | 最後の征夷大将軍。慶応3年(1867年)に大政奉還を行い、江戸幕府を終焉に導いた。 | 江戸幕府十五代 |
* | 徳川綱重 | 1710 | 江戸幕府の大名として甲府藩を治め、学問に理解を示し、治水事業を推進した。 | *征夷大将軍追贈 |
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