系譜で辿る日本史

足利義詮

室町幕府第二代征夷大将軍

足利宗家第9代当主

氏族河内源氏義国流足利氏
生没1330年 - 1367年
位階正二位
官職権大納言 左近衛中将 左馬頭
幕府職征夷大将軍、鎌倉公方

1333年、足利尊氏の子義詮は北条家の人質として鎌倉に留まったが、尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻すと、義詮は尊氏の家臣によって鎌倉を脱出し、鎌倉攻撃に参加した。義詮はその後、鎌倉の統治や後光厳天皇の即位を通じて権力を握り、さらに父尊氏の死後、征夷大将軍に任命された。
だが、南朝勢力や自身の家臣との抗争により政権は揺れ動いた。しかし、様々な家臣団が再度幕府に帰参し、政権は次第に安定化していった。この間、義詮は訴訟制度の整備や寺社の管理などにも着手した。
1367年、嫡男義満を細川頼之に託し、義詮は病死した。享年38歳。

配偶者
    主な祖先

    藤原富士麻呂

    18親等祖先

    藤原三守

    19親等祖先

    光孝天皇

    18親等祖先

    伊東祐親

    10親等祖先

    足利義兼

    7親等祖先

    主な子孫

    小田政治

    4親等子孫

    足利義勝

    2親等子孫

    足利義量

    2親等子孫

    足利義政

    2親等子孫

    足利義昭

    6親等子孫

    男系子孫のみ表示

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