系譜で辿る日本史

足利義教

(義円)

室町幕府第六代征夷大将軍

足利宗家第14代当主

氏族河内源氏義国流足利氏
生没1394年 - 1441年
位階従一位
官職左大臣 内大臣 右近衛大将
幕府職征夷大将軍

足利 義教(あしかが よしのり)は、室町幕府の第6代征夷大将軍(在職:1429年 - 1441年)。第3代将軍・足利義満の子。母は側室の藤原慶子。僧侶時代は義円(ぎえん、正字体:義圓)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。室町幕府の第3代将軍・足利義満の四男または五男で、第4代将軍・足利義持の同母弟にあたる。
義教は、鎌倉公方の足利持氏と通謀して自身を呪詛しているとして、比叡山延暦寺に攻勢を仕掛けてこれを抑え込み、永享の乱で足利持氏を敗死させるなど、強権的な手法で室町幕府の地位向上に努めた。また自身の肝いりの政策として、高さ四丈(約12m)の雲居寺大仏の再建を行った。将軍と同等もしくはそれ以上の勢威を持った勢力を一掃し、九州や関東にも幕府の影響力を増大させたが、「万人恐怖」とも称される、その強権的な手法は周囲の反感を呼び、義教は守護大名の赤松氏に謀殺されるという最期を遂げた(嘉吉の乱)。以降足利将軍の権威は低下し、義教ほどの実権を持つ将軍は現れなかった。
義教は従来、恐怖政治を敷いた悪人であると評されてきた。しかし近年、義教の各種政策は戦国三英傑のそれを先駆したものであったとして、再評価する機運も見られる。

配偶者
主な祖先

北条泰時

9親等祖先

源義国

11親等祖先

藤原内麻呂

20親等祖先

文徳天皇

19親等祖先

源頼義

13親等祖先

主な子孫

足利義尚

2親等子孫

足利義政

1親等子孫

足利義稙

2親等子孫

足利義昭

4親等子孫

足利義勝

1親等子孫

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