藤原 継縄(ふじわら の つぐただ)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての公卿。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智麻呂の孫。桃園右大臣あるいは中山を号す。
宝亀10年(779年)に弟の中納言・藤原縄麻呂が薨去すると継縄は藤原南家の氏上格となり、次いで中納言に昇進する。天応元年(781年)桓武天皇が即位すると、同じ藤原南家の従兄弟・藤原是公が重用されるようになる。同年9月に2人は正三位・中納言となって肩を並べ、翌天応2年(782年)是公が先に大納言に昇進して官位面で後塵を拝することになった。延暦2年(783年)には是公は右大臣に就任するが、後任の大納言には継縄が任ぜられ、藤原南家の公卿で太政官の首班・次席を占めた。
藤原継縄
右大臣・藤原豊成の次男
氏族 | 藤原南家 |
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生没 | ??? - ??? |
位階 | 正二位 |
官職 | 右大臣 |
幕府職 |
配偶者
主な祖先
主な子孫
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藤原継縄
- 藤原真葛
右大臣・藤原継縄の長男
生没 ??? - ??? 位階 従四位上 官職 治部卿 幕府職 - 藤原乙叡
右大臣・藤原継縄の次男
生没 761年 - 808年 位階 従三位 官職 中納言 幕府職 - 女(藤原清成・室)
藤原継縄の娘
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職
- 藤原真葛