父・頼朝の死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、更に3年半後に征夷大将軍となる。母方の北条氏を中心として十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされるが、当事者である北条氏の史書の記録のみでしか確認できていない。
合議制成立の3年後に頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡した。頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉された後、暗殺された。
頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握ることになる。
源頼家
(万寿)
鎌倉幕府第二代征夷大将軍
氏族 | 河内源氏 |
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生没 | 1182年 - 1204年 |
位階 | 正二位 |
官職 | 左衛門督 |
幕府職 | 征夷大将軍 |
配偶者
主な祖先
主な子孫
1親等子孫