明応2年(1493年)に従兄の10代将軍・足利義材(義稙)が細川政元によって追放されると、11代将軍として擁立された。しかし、永正5年(1508年)に前将軍・義稙を擁立する大内義興が上洛の軍を起こしたため、近江国へ逃れて将軍職を廃され、復帰できないまま死去した。
足利義澄
室町幕府第十一代征夷大将軍
足利宗家第19代当主
氏族 | 河内源氏義国流足利氏 |
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生没 | 1481年 - 1511年 |
位階 | 従三位 |
官職 | 左近衛中将 参議 左馬頭 |
幕府職 | 征夷大将軍 |
配偶者
主な祖先
主な子孫
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足利義澄
- 足利義晴
室町幕府第十二代征夷大将軍
足利宗家第21代当主
生没 1511年 - 1550年 位階 従三位 官職 権大納言 右近衛大将 参議 幕府職 征夷大将軍 - 足利義維
初代平島公方
堺公方・平島公方(阿波公方)
生没 1509年 - 1573年 位階 従五位下 官職 左馬頭 幕府職 - 随風
生没 ??? - ??? 位階 官職 幕府職
- 足利義晴