清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。
弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより、朝廷と同様に京都を中心に権勢を誇った平氏政権とは異なる、東国に独立した武家政権が開かれ、後に鎌倉幕府と呼ばれた。
源頼朝
鎌倉幕府初代征夷大将軍
河内源氏七代目棟梁
氏族 | 河内源氏 |
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生没 | 1147年 - 1199年 |
位階 | 正二位 |
官職 | 権大納言 右近衛大将 |
幕府職 | 征夷大将軍 |
配偶者
主な祖先
主な子孫