室町時代後期の武将である斯波義敏は、斯波氏(武衛家)の10代当主。享徳元年(1452年)に当主斯波義健の死後、室町幕府の推挙により家督を継承し、越前・尾張・遠江の守護となる。しかし、家臣甲斐常治との対立が原因で権力闘争が勃発し、長禄元年(1457年)には常治や他の重臣と戦うも敗北し、一時的に失脚する。寛正4年(1463年)に赦免され、文明3年(1471年)には応仁の乱にて東軍に属し、勢力を取り戻すも、最後は朝倉氏に越前を奪われる。晩年は連歌や笙の文化活動に専念し、永正5年(1508年)に74歳で死去。斯波氏は以後、政治的復権を果たすも、最終的には衰退する。
主な祖先
斯波義敏の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















