室町時代中期の守護大名である斯波義健は、2歳で家督を継いだ。初めは叔父や分家の後見を受け、嘉吉元年(1441年)には駿河守護今川範忠と遠江の所領をめぐって争った。文安4年(1447年)には家臣間の対立が発生し、将軍足利義成が仲裁に乗り出した。同年、吉良義尚の娘を妻に迎えた。宝徳3年(1451年)に元服し、従四位下治部大輔に叙任されたが、享徳元年(1452年)に嗣子がないまま18歳で死去したため、斯波氏の嫡流は断絶した。義健の死後、武衛家では後継者争いが勃発した。
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斯波義健の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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