芳賀高名は鎌倉時代後期から南北朝時代の武将で、宇都宮氏の家臣だった。楠木正成追討に参加し、天王寺や千早城で奮戦して武名を挙げた。宇都宮公綱に仕えていたが、彼を排除して嫡子氏綱を擁立し、宇都宮氏を北朝方に転じさせた。これは南朝側の反感を招き、暦応4年(1341年)には飛山城を攻め落とされた。観応2年(1351年)の薩埵峠の戦いで足利尊氏に味方し、勝利を決定づけた。これにより主君氏綱は上野・越後両国の守護に任じられ、芳賀高名は事実上の守護代となった。晩年には上杉憲顕を討とうとしたが失敗し、基氏の追討を受けて敗北した。82歳で没したと伝えられる。











