鎌倉時代後期から南北朝時代初期の公卿で、鷹司家5代当主。幼少期から出世し、延慶2年(1309年)に正五位下に叙せられ、5歳で公卿に列する。様々な官職を歴任し、嘉暦4年(1329年)従一位に叙せられるも、近衛経忠が関白に就任した際に辞職。しかし元徳2年(1330年)に関白となる。後醍醐天皇の詔で一度は解任されるが、建武元年(1334年)に右大臣となり、建武2年(1335年)には左大臣に復帰。建武の新政崩壊後、建武4年(1337年)に33歳で薨御。和歌に通じ、『続千載和歌集』などに七首が収録されている。嗣子が無く、甥の師平を養子に迎えた。
主な祖先
鷹司冬教の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











