平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿で、西園寺家3代目として正二位・内大臣に至る。久安4年(1148年)に叙爵し、その後も順調に昇進を続け、元久2年(1205年)に内大臣に任じられる。琵琶の秘曲を伝授する音楽家としても知られ、藤原師長の弟子として学び、自らも守貞親王に伝授した。後鳥羽院の琵琶師選びでは候補に挙がるも、最終的に選ばれなかったが、実宗は西園寺家に琵琶の技術を継承させた。『千載和歌集』に和歌が収録されるなど文学にも関与。娘は藤原定家に嫁ぎ、後堀河院の子女を生む。建暦2年(1212年)に薨去。





















