日野資教邸で育てられた後小松天皇は、永徳2年(1382年)に6歳で即位し、後円融上皇の院政が行われた。明徳3年(1392年)には明徳の和約により南北朝が合一され、三種の神器を受け継いだ。後円融上皇の崩御後、足利義満が朝廷への影響を強化し、後小松は皇子の稱光天皇に譲位し、院政を開始した。正長元年(1428年)には後花園天皇を即位させ、永享5年(1433年)に崩御。この時、院政と治天の君制度は事実上終焉を迎えた。深草北陵に葬られ、追号は「後小松院」とされた。
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後小松天皇の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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