鎌倉時代後半の公卿である近衛兼教は、関白左大臣・近衛基平の子として生まれる。彼が誕生した時期は、摂関家が近衞家と九条家から鷹司家、二条家、一条家に分立し始めた時代であった。この分立は、両家の当主が夭折したことで相続問題が生じたことが一因とされる。文永5年(1268年)、彼の父・基平が23歳で薨去し、兼教は若くして家の重責を負うこととなった。和歌集『玉葉和歌集』には、「従一位兼教」としての和歌が収められ、兼教の心境を垣間見ることができる。彼の人生は、摂関家の変遷期における困難と、それに伴う役割を果たすものであった。
主な祖先
近衛兼教の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











