鎌倉時代中期の公卿。一条家の2代当主として、従一位・左大臣まで昇進した。宝治2年(1248年)に生まれ、若くして左近衛中将となり、正嘉元年(1257年)には従三位に叙せられる。その後、正三位・権中納言、従二位を経て、弘長2年(1262年)には正二位・権大納言に任じられた。文永4年(1267年)には内大臣、翌年には右大臣、さらにその翌年には左大臣に昇進。文永7年(1270年)には従一位を賜る。文永11年(1274年)には後宇多天皇の摂政となるが、翌年に辞職。和歌にも優れ、勅撰和歌集にその歌が収められている。建治元年(1275年)には『摂政家月十首歌合』を開催した。永仁元年(1294年)に46歳で薨去。
主な祖先
一条家経の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











