持明院基家は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公卿。大蔵卿・藤原通基の三男で、持明院家の3代当主。久安元年(1145年)に叙爵し、能登守、美作守、左近衛中将などを歴任。承安2年(1172年)には従三位に叙され、寿永元年(1182年)に参議に任ぜられる。寿永2年(1183年)、木曾義仲のクーデターによる解官を避け、関東に亡命。後に都に戻り、守貞親王に仕える。文治6年(1190年)には正二位に昇進。建仁元年(1201年)に出家し、建保2年(1214年)に死去。彼の子孫は持明院家として羽林家に発展した。





















