平安時代中期の皇族である具平親王は、村上天皇の第七皇子として生まれ、知的好奇心に富んだ人物だった。円融朝で元服し、一条朝では兵部卿・中務卿を歴任し、寛弘4年(1007年)には二品に昇進。文人としても卓越し、詩歌管弦や書道に加え、陰陽道・医術にも通じていた。橘正通や慶滋保胤に師事し、大江匡衡や藤原為頼兄弟とも親交を持った。特に藤原公任との歌の優劣を巡る論争が有名であり、これが後に公任が『三十六人撰』を選定するきっかけとなった。彼の詩歌は『拾遺和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に多数収められている。嫡男師房の子孫は村上源氏として院政期に勢力を拡大した。





















