平安時代後期の公卿・歌人。幼少より官位を昇進し、権中納言に至る。源頼朝の蜂起後は頼朝の意思を京と鎌倉、特に九条兼実との間で伝える役割を果たした。有職故実に詳しく、多くの文書や日記を所蔵し、『水鏡』の作者ともされる。和歌にも優れ、『千載和歌集』などの勅撰和歌集に七首が収められている。藤原忠通・兼実父子と深い親交を持ち、朝議の有職についても議論した。文治3年(1187年)、妻の病を機に出家し、建久元年(1190年)に64歳で亡くなった。
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