平安時代中期の皇族である為平親王は、村上天皇の寵愛を受け、元服後は高明の娘を娶る。康保4年(967年)に村上天皇が崩御し、冷泉天皇が即位する中、聡明な為平が皇太弟になることが予想されたが、守平親王が皇太弟となる。安和2年(969年)に源高明が左遷される安和の変では、為平親王も影響を受けたとされるが、貞元3年(978年)に式部卿に任じられ、32年間その地位を維持した。晩年は病に悩まされ、寛弘7年(1010年)に出家して薨去した。娘の婉子女王は花山天皇に入内し女御となったが、天皇の出家後は藤原実資と結婚した。





















