平安時代後期の公卿である。5歳で従五位下に叙爵され、その後、紀伊国、越中国、三河国、遠江国の国司を歴任した。保元3年(1158年)には参議となり、長寛2年(1164年)には権中納言に昇進。平治の乱後、後白河上皇が一時的に顕長邸を仮御所とし、ここで市井の様子を眺めることを楽しんだ。しかし、顕長の甥である藤原経宗と藤原惟方がその桟敷を封鎖したことで上皇の怒りを買い、両名は失脚・配流となった。仁安元年(1166年)に権中納言を辞し、翌年に亡くなった。
主な祖先
藤原顕長の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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