平安時代後期の公卿であり、歌人としても名を馳せた。応徳3年(1086年)に侍従に叙爵され、嘉承元年(1106年)には参議に任じられる。永久2年(1114年)に従三位となり、保安3年(1122年)には権中納言に昇進。歌人としては、堀河朝で活躍し、源俊頼や藤原基俊と親交を持つ。長治元年(1104年)には「左近権中将俊忠朝臣家歌合」を自邸で開催し、多くの歌人を招いた。『俊忠集』を編纂し、『金葉和歌集』などの勅撰和歌集に計29首が収められている。清廉な性格で知られ、懇願せずとも権中納言に昇進したことが『古事談』で賞賛されている。





















