平安時代末から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人であり僧侶の寂蓮は、藤原俊成の養子として育つ。従五位上・中務少輔に至るが、30歳代で出家し、歌道に精進。御子左家の中心歌人として「六百番歌合」では顕昭との論争で名を高める。建仁元年(1201年)には和歌所寄人となり、『新古今和歌集』の撰者に加わるが、翌年に没する。彼の歌は後鳥羽院や鴨長明から高く評価され、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に117首が入集。家集『寂蓮法師集』も知られる。書家としても名を残し、現存する書跡には署名があり、その自筆であることが確実視されている。











