平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人である。『小倉百人一首』の撰者として知られる。歌道における御子左家の地位を確立し、『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者でもあった。十八歳から七十四歳までの日記『明月記』を残し、特に建仁元年(1201年)に記した『熊野御幸記』が国宝に指定されている。書写・注釈にも携わり、定家仮名遣の基礎を築いた。晩年には権中納言にも任ぜられたが、九条道家との対立で官界を退いた。享年八十で薨去。定家神社に祀られ、恋愛成就の御利益がある。
主な祖先
藤原定家の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















