平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、公卿として活動。後白河法皇の院近臣として仕え、越前国や丹後国などの国司を歴任。治承3年(1179年)、越前守に任じられるが、平清盛との対立から職を解かれる。しかし、翌年には法皇を自邸に迎えるなど、平家側からも信頼を得ていた。治承・寿永の乱後も法皇に仕え、寿永2年(1183年)には従三位に叙せられ公卿となる。文治元年(1185年)の政変後も法皇側近派として活動し、建久4年(1193年)には正三位に昇進。承元4年(1210年)に出家し、歌人としても藤原俊成に師事。娘は藤原定家に嫁いだ。
主な祖先
藤原季能の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











