平安時代初期の貴族で、淳和天皇の時代に春宮・正良親王に仕えた。天長10年(833年)、春宮少進に任じられ、正良親王の即位に伴い従五位下・右近衛少将となる。承和9年(842年)の承和の変では、謀反を鎮圧し正五位下・右近衛中将に昇進した。承和13年(846年)には陸奥出羽按察使に任命され、東北地方に赴任。若い頃から学問に励み、弓馬にも優れ、温雅な性格で士卒からの信頼も厚かった。仁明天皇からは将軍としての才があると評された。嘉祥3年(850年)、背中の悪瘡で47歳で死去。死去の際には多くの人々がその死を惜しんだ。
















