平安時代中期の公家であり歌人。侍従や左兵衛佐を歴任し、春宮亮として師貞親王に仕える。兄と共に近衛少将に任ぜられ「後少将」と称された。幼少より仏教への信仰心が深く、父の死後に出家を考えたが、子息の藤原行成のため断念した。天延2年(974年)、疱瘡により21歳で没した。同日の朝に兄が、夕方に自身が逝去したとされる。容姿に優れ、『大鏡』でその美しさが賞賛された。『拾遺和歌集』を含む勅撰和歌集に12首が収められている。家集に『義孝集』がある。
主な祖先
藤原義孝の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















