平安時代後期の廷臣であり書家でもある。父が出家した後、能書家として様々な書役を務めた。特に大嘗会屏風や摂政の上表文などの筆者として名を馳せた。大治4年(1129年)から仁平元年(1151年)にかけて、一切経全5048巻を独力で書写し、この偉業を成し遂げたのは日本史上でわずか二人だけである。この書写を終えた後、春日大社で供養を行い多武峰で出家し「生光」と名乗った。書風は祖父の影響を受けつつも独自の軽快で変化に富んだスタイルを持ち、「定信様」と称された。西行との和歌の贈答が記録されているが、歌人ではないため、古筆の筆者としてはあまり尊重されていない。
主な祖先
藤原定信の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















