江戸時代前期の大名である黒田忠之は、筑前国福岡藩の2代藩主として知られる。彼は江戸三大御家騒動の一つ、黒田騒動の原因を作った人物として歴史に名を残す。大坂冬の陣では、父・長政の代わりに1万の軍を率いて出陣し、元和9年(1623年)に家督を継いだ。奔放で華美な性格を持ち、ご禁制の大型船舶を建造するなど藩の財力を活用したが、重臣たちと対立し、改易の危機にも直面した。寛永14年(1637年)の島原の乱では武功を挙げ、寛永18年(1641年)には長崎警護の任に就いた。承応3年(1654年)に福岡城で死去し、長男・光之が跡を継いだ。
主な祖先
黒田忠之の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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