戦国時代の武将で、小寺氏の家臣として活躍。若い頃は備前国福岡で生活していたが、大永5年(1525年)に播磨国へ移り、目薬の販売で財を成し、播磨の国人となった。はじめは赤松政秀に仕えたが、後に小寺政職に主を替え、姫路城の城代となった子の職隆と共に小寺氏に仕えた。享禄4年(1531年)の大物崩れでは赤松政祐軍に参加。姫路城の経営に携わり、後に筑前黒田家の家祖とされた。永禄7年(1564年)、御着城下で没し、墓所は岡山県瀬戸内市長船町の妙興寺にある。後に福岡藩が姫路御着に新たな墓所を造営し、光雲神社でも祀られている。
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黒田重隆の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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