戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、黒田氏の家臣として活躍。天正5年(1577年)、兄・孝高と共に織田信長の中国攻めに参加し、羽柴秀吉の馬廻となった。三木合戦や英賀城攻めに従軍し、町坪城の城代を務めた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、甥の黒田長政と共に和泉国での一揆鎮圧を担当。九州征伐に参加し、孝高の勧めでキリシタンの洗礼を受ける。豊前国で1万石を与えられ、豊前高森城主となり、長政の後見役を務めた。文禄の役にも参加したが、体調を崩し和泉国堺で療養中に43歳で死去。嫡子政成は後に筑前国で14,000石を領した。

