江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した大名で、近江国仁正寺藩(後に西大路藩)の第10代藩主。天保14年(1843年)に市橋長富の養子となり、その翌年に家督を継承。嘉永6年(1853年)のペリー来航による国内の政情不安を受け、軍備増強の一環として火薬の製造に取り組む。文久2年(1862年)、藩名を西大路藩に改称。慶応3年(1867年)には新政府を支持。明治元年(1868年)には明治天皇の守護や京都警備の任務を果たす。明治2年(1869年)、版籍奉還により知藩事となるが、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官し、東京に移る。明治15年(1882年)、62歳で死去。墓所は東京都荒川区の南泉寺。











