安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した女性。福岡藩初代藩主・黒田長政の継室であった。天正13年(1585年)に信濃国高遠城主・保科正直の娘として生まれ、母方を通じて徳川家康の姪にあたる。慶長5年(1600年)、家康の養女として黒田長政に嫁ぎ、化粧料として豊後国玖珠郡内に1,000石を与えられた。関ヶ原の戦い直前には西軍の妻女人質計画を逃れ、長政の領国・豊前国中津まで避難した。長政との間に3男2女をもうけ、福岡藩の基盤を築く。寛永12年(1635年)、孫の江戸幕府3代将軍・徳川家光への謁見に随行後、江戸で死去。彼女が奉納した燈籠は日光東照宮に現存する。
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主な子孫





















