江戸時代中期の大名である黒田綱政は、筑前東蓮寺藩の3代藩主、後に筑前福岡藩の4代藩主を務めた。1663年(寛文3年)、叔父の跡を継ぎ東蓮寺藩主となるが、1677年(延宝5年)に兄の廃嫡に伴い福岡藩の嫡子となり、綱政と改名。1688年(元禄元年)に父から家督を継ぎ、権力強化を図るも、父と対立し、佐賀藩との国境争いに巻き込まれる。財政改革として藩札を発行するが、米価高騰で失敗に終わる。絵画を好み、狩野派の絵師を抱えた。1711年(正徳元年)に死去し、遺体は崇福寺に埋葬。後にミイラ化した状態で発見され、再埋葬された。家督は次男の政則が継いだ。
主な祖先
黒田綱政の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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