戦国時代、播磨国志方城の城主として知られる。父の死後、天文10年(1541年)に家督を継ぐが、若年のため家臣の好田大炊助が執権を務めた。同時代の史料に彼の活動記録は少なく、代わりに櫛橋政朝の名が見られる。居城は東播磨の別所氏の勢力圏に位置し、1万石余りを領有。娘の光は小寺孝隆(後の黒田孝高)の妻となる。天正元年(1573年)に没したとされ、志方城はその後、天正6年(1578年)に織田軍との戦いで落城した。末路については複数の説があり、詳細は不明。
主な祖先
櫛橋伊定の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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