筑前国福岡藩の8代藩主である。讃岐国多度津藩主の家に生まれ、宝暦4年(1754年)に生を受けた。天明元年(1781年)に福岡藩主・黒田治之の末期養子となり、翌年に家督を相続する。将軍徳川家治から偏諱を受けて治高と名乗り、従四位下・侍従・筑前守に叙任された。天明2年(1782年)に福岡に初めて入国し、領内を巡見したが、体調を崩し8月に死去した。享年29で、幕府には10月に死亡と届け出た。治高の後嗣には、一橋徳川家の徳川治済の三男・雅之助(後の黒田斉隆)が指名され、黒田家の血筋を継ぐ者として迎えられた。京極家からの藩主は治高の代限りで終わった。








