江戸時代後期の大名で、肥前国唐津藩2代藩主。文政6年(1823年)、先代藩主の死後に養嗣子として家督を継ぐ。徳川家斉への拝謁後、従五位下壱岐守に叙任され、後に佐渡守に改める。生来病弱でありながら財政再建を試みるが、33万両の借金返済のため重税を課し、専売制を導入するも効果は乏しかった。文政11年(1828年)の大風害が重なり、藩の財政難は改善せず。天保4年(1833年)、隠居して養子に家督を譲る。文久元年(1861年)に56歳で死去。
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小笠原長泰の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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