豊前国中津藩の2代藩主である。長兄が病弱で廃嫡されたため世子となり、寛文6年(1666年)に家督を継ぐ。寛文8年(1668年)、島原藩主の改易に伴う城受け取りで功績を挙げ、豊後高田領2万8000石が加増された。延宝元年(1673年)には気鬱の病を理由に豪華な離亭を建設し、藩政を顧みなくなる。運上金や年貢を増税し、民衆を苦しめたため、年貢収入が激減。刑法を厳罰化し対応を試みるが、延宝3年(1675年)の飢饉では救済を行わず、幕府から処罰されるも悪政を続けた。天和2年(1682年)から病に倒れ、政務を甥の長胤が代行。回復せず、同年12月2日に37歳で死去。悪政の影響で後に減封となる。
主な祖先
小笠原長勝の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















